根無し草 流るる水の 心地よさ
ラテを飲みながら、呪文のように頭に浮かぶ。
根無し草
流るる水の
心地よさ
結婚しても、子供ができても、居を構えても。
こんなに歳を重ねても。
いつまでたっても私自身、定まる気がしない。
そう
私はきっと根無し草。
最近のある夜、布団の中でそんな言葉がふと頭に浮かんだ。
根無し草
根無し草
私はきっと根無し草
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根無し草って、あまり良い意味では使われませんよね。
でも、自分の事を根無し草と思う人、いるのかしらと検索したら
五木寛之さんの著書に
「デラシネの時代」
というのがある事を知りました。
「デラシネ」という言葉は「故郷を捨てた人々」として否定的に語られてきた。
だが、社会に根差していた当たり前が日々変わる時代に生きる私たちに必要なのは、
自らを「デラシネ」――根なし草として社会に漂流する存在である――と自覚することではないか。(KADOKAWA 公式サイトより)
こちら、とても興味深いです。
根無し草
流る水の
心地よさ
こんな俳句みたいな文字が ふとした時に頭をよぎる日々です。
でも不思議と
世間で言われるほどネガティブな気持ちではなくて。
自分はどこにたどり着くのだろう
どこに向かっているのだろう
不安?
いや
この流れに漂う心地よさも
感じているのです。
そんな気分です。